ネットカフェにあまりお金遣いたくないし、ネット環境が悪いからあまりブログとか廻れてない。
ごめんねー。
今日は
哲学の道と
京都御苑で小説を書いていた。
その合間に銀閣寺へ行ったりもしたけれど。
どちらかというと、京都御苑のほうが執筆しやすかったかな。
哲学の道は自然が豊かすぎて、蟲とかブンブン飛んで来るから。
銀閣寺へ行くのは今度が二度目だった。
去年の夏に、金閣寺へ行った「ついで」に立ち寄ったんだよね。
けれど実際行ってみて、色々と価値観変わったわ。
金閣寺は全く古さが感じられないし、成金趣味みたいで下品だった。
その反面、銀閣寺は古き良き
はんなりした建物だった。
実物を視て、銀閣より金閣を有難がる奴は所詮庶民だよ。午前中は哲学の道で、午後からは京都御苑。
明治時代まで日本の首都は京都で、天皇が住んでいたのは多くの人が知るところ。
その皇居である
京都御所を中心に、緑豊かな御苑が広まっている。
――へえ、奠都する前は、結構薄い壁の中に陛下はおられたんだなあ。
そう思って軽く御所の壁を触った時の事だった。
いきなり、
ジリリリリリリリ!! って警報が鳴った。
警官隊が駆けつけて、尋問されるかと思った。
けれども実際は、「御所の壁に近づくな!」とアナウンスが鳴っただけだった。
そういえば、今もここは皇居でしたか――。
実を言うと、
今でも日本の首都は京都ではないかという議論がある。
京都の人っていうのは伝統を重んじるから、東京へ奠都するときも揉めたんだよね。
だから当時の役人が、
「遷都じゃなくって奠都だよー。一時的に天子様を江戸に滞在させるだけだからね?」と京都の人々を宥めた。
そしてチャンスを見計らって正式に「遷都」を宣言するはずが、色々とウニャムニャのまま今に至る。
この精神は、
「軍隊じゃなくて自衛隊だよー。戦争する部隊じゃなくて自衛する部隊だからね?」と説明する今の役人に受け継がれている。
コメ返
ヒプホさん> 仏像
やはり製作者の思い入れというのが凄かったのでしょう。
そういうところに敬意も込めて、手を合わさせて頂きましたよ。
> 洪水
市場はその通り根性だったんでしょうが、洪水は当時の人としても深刻な問題だったようですよ。
歴代の天皇や権力者が悩んでいて、治水専門の役職とかあったみたいです。
けれど結局堤を築いたのは、何百年も後の豊臣秀吉なんですよね。
何 で 堤 防 を 造 ら な か っ た! っていう。
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